沖縄、名護にて(辺野古・デニデニ滞在記)


第6回

神の計らいだった、と思う。

埼玉に住むわたしが、玉城デニーさんの県知事選を手伝えることになるなんて. . . 。

 

沖縄へ行くのを決めたのは、2018年7月のことだった。映画やニュースで見ていた辺野古と高江に実際に行ってみたかったのだ。

8月の休みには西日本へ災害ボランティア、10月には福島と宮城(楢葉町や石巻の旧大川小学校)へ行く約束があった。それで、沖縄行きは9月末にして、9月27日(木)~30日(日)、名護のホテルを4泊予約した。 

 

7月27日、辺野古埋め立て承認撤回表明のニュース!

感無量だった。9月に行ったら県庁で出待ちして、翁長雄志知事にお礼が言いたいと考えたほどだ。

でも、喜びもつかの間、翁長さんは8月8日に亡くなってしまった。ご病気だったから心の準備はしていたけれど、早すぎる。悲しすぎる。

 

8月13日、沖縄県知事選は9月30日投開票と決まった。 

飛行機とホテルの予約をキャンセルしようか、ひどく迷った。 

翁長さんの後任を決する大切な選挙のちょうどそのときに、わたしなどが行ってもいいのか? 

沖縄では、ありがた迷惑な人たちが本土(内地)から押しかけて、困った言動を繰り返していると、ときおり耳にしていた。 

そういう人はどこにでもいる。被災地にも、乳がん患者の会にも、アルコール依存症者のもとにもやって来る。みんな善意(≒悪気はない)なだけに、むげに断れなくて、せつないんだな。

わたしは、沖縄で、ありがた迷惑の ”困ったナイチャー" にならずに済むだろうか。 

 

8月16日夜、そんな迷いをかかえたまま、わたしは一人、豪雨災害のひどかった愛媛へ向かった。 

災害ボランティアチーム「援人」 

 

そこの仲間たちに合流する形だった。

(3年前、福島県の南相馬市で、いまではうちの愛犬ハチとノエルが、生まれたばかりで捨てられていたのを拾ってくれたのも、援人のメンバーです)

 

「援人」のボランティア。7月の段階では倉敷か呉に行く予定だった。だから、とりあえず岡山県の福山まで、夜行バスのチケットを買っておいた。けれど「そのときに一番必要とされる場所へ」という方針から、8月のお手伝い先は愛媛県の西予市に決まった。

わたしは、福山からしまなみ海道を通って四国へ渡ることにした。

おかげで、途中で、今治の友人シホちゃんと会えることになった。2007年に愛媛FCと浦和レッズが対戦したとき以来、11年ぶりの再会だ。 

前々日、シホちゃんが「お昼は、和食、洋食、ご当地B級グルメのどれがいい?」と訊いてくれた。「今治のご当地グルメ!」と即答した。 

 

8月17日のランチは、今治の「白楽天」で焼豚玉子飯(やきぶたたまごめし)!! 

さすがに有名店、長い行列ができていた。しばらく待っていると、相席だったらご用意できますが、と言われた。 

「相席、いやね」と二人で顔を見合わせ「でも、時間ないし、OKしよう!」

 

案内されたのは四人掛けのテーブルで、お向かいに座っていたのは、20代前半くらいの青年と、上司だろうか壮年の男性の二人組だった。出張で、大阪から日帰りで今治に来たそうだ。タオル美術館の行き方だとか、シホちゃんが教えてあげていた。 

 

「もしかして、沖縄の方ですか?」 

二人の会話の中に那覇などの地名が頻繁に出てきていたので、ふっと尋ねてみた。 

二人とも沖縄の人だった。 

 

「じつは、9月に沖縄に行こうかと思っていて . . 。でも、翁長知事が亡くなってしまって . . . 」と言うと、上司さんのほうが答えた。 

「翁長知事のお葬式、行ってきましたよ。あっ、(親戚とかじゃなく)仕事ですが」 

そう言って、名刺をくれる。 

「わたしたちは、QAB 琉球朝日放送、関西支社の者で、じつはきょうも取材で . . . 」 

 

わたしもあわてて、バッグの中を探す。 

(あちゃ、雪子さんの名刺しかない . . .  けど、名前載ってるからいいかな?) 

「渋谷やみぃと言います」 

映画『雪子さんの足音』を支援する会で作ってもらった名刺を二人に渡す。 

 

『雪子さんの足音』は、敬愛する友人、浜野佐知監督の最新作だ。 

 

「映画がお好きなんですね?」 

年長のほうの謝花さんが、にっこり笑った。 

わたしもうれしくなって、笑顔で答えた。 

「はい。映画、とても好きです。」 

 

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「もしや . . . 『標的の村』という映画、見ましたか?」 

謝花さんが尋ねる。 

わたしは、もちろんという顔で答える。 

「あの映画の監督、三上智恵は、元同僚なんです」 

そういえば、三上さんは放送局にいたってどこかで読んだ。 

 

「いま彼女の新しい映画、『沖縄スパイ戦史』の上映が始まって . . . 」 

「はい、友人が先週見てきて、感激してました。ポレポレ東中野、満席だったそうです」

 

話がつきない。 

旅先で巡りあった人と、焼豚玉子飯を食べながら、『沖縄スパイ戦史』の話をしている、って、なんだかおかしい。 

シホちゃんと知念さんは、すこし驚いたようにしている。 

知念さんは、まっすぐな感じの好青年。愛媛の豪雨被害にも興味を持って、被災地は松山空港からどれくらいかと、時間があれば行きたそうだった。 

 

なんてすてきな人たちだろう . . . ! 

わたしは、気に掛かっていたことを打ち明けてみた。 

辺野古へ行こうと計画していたけれど、翁長知事の後任を決する大切でデリケートな選挙のときに、大和(内地)からわたしのような者が行っていいのか。 

 

「行くといいですよ . . . 」 

謝花さんがそう言うと、知念さんも、大きく肯く。 

 

「行くといいです . . . 当然いろんな考え方の人がいるけれども、とにかくその数日は、沖縄が一番熱いときです」 

「行って、肌で感じてほしい」 

 

心がすうっと軽くなった。 

そうだ 沖縄へ行こう。 

まだ、誰が県知事候補になるのか、どんな選挙になるのか、それまで辺野古はどうなるのか、何もわからなかった。だけど、とにかく行ってみよう。 

 

沖縄の人が勧めてくれたからといって、「免罪符」にはならない。 

どんなに島唄やカチャーシーを習おうと、わたしが沖縄の思いを踏みにじり基地の偏在をつくっている ”本土” の人間だということは、変わらない。 

それでも、謝花さんと知念さんの言葉は、迷いを消すには十分だった。

見えない力が背中を押してくれていた。 

 

もし「援人」の行き先が、愛媛の西予に変更にならなかったら、 

もし福山行きの夜行バスを予約していなかったら、 

もしお昼が焼豚玉子飯じゃなかったら、 

もし相席を断っていたら、 

もし ”映画『雪子さんの足音』” の名刺を出さなかったら . . . etc. 

 

数え切れないほどの偶然が、こぞってウィンクしているようだった。 

 

今治から予讃線で八幡浜へ向かった。列車の中で、シホちゃんが買ってくれたバリィさんのストラップをリュックにつけた。そして、思った。 

「この子を沖縄にも連れて行こう . . .♪ 」 

 

愛媛から埼玉の自宅へ戻って、もう一度びっくり。 

 

8月22日、お礼のメールをしようと、もらった名刺のお名前を調べたら、 

 

なんと、謝花尚さんは、映画『標的の村』のプロデューサーだったのだ。 

まさかひゃー!

 

8月26日、玉城デニーさんが、翁長雄志知事の後継候補としての出馬要請を受諾。

 

そのときには、デニーさんの選挙を手伝えるなんて、夢にも思っていなかった。

 

半年後にこんな文章を書かせてもらうことも . . . 。

神さまの計らいはずっと続くのだった。

筆者

渋谷やみぃ

[プロフィール]おもに療養中・不登校の児童の家庭教師。ゴスペルシンガー。LGBTQ+。伊豆・熱海生まれ、三島育ち、埼玉県比企郡在住。乳がん・アルコール依存症。好きな作家は、E. L. カニグズバーグ、橋本 治。

沖縄についてもう少し知るために

やみぃさんが文中で映画の話をしていますが、沖縄を舞台にした映画というと、個人的に印象に残っているのは、作家の椎名誠が監督をした『うみ、そら、さんごのいいつたえ』という映画に強い印象があります。

カメラワークが素敵な映画で、当時は沖縄に一度も行ったことがなく、映像化されたシーンのすべてが美しいこの映画を非現実的だと思っていました。

ところが、実際に沖縄に行くと、これがリアルな沖縄だと知って、初めて納得したことを、思い出します。



第5回

安倍政権は、知事選で示された民意などには目もくれず、埋め立て工事を強行。

いったい誰がどれほどの利益を得るのか、軟弱地盤だとわかっている場所にあえて基地を造るなど、常軌を逸している。

それでも、玉城デニー知事は ”「対話」を大切に” という姿勢を崩さない。

話し合い路線を徹底的に続けることが沖縄の未来を開くと信じている。

 

「辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票」も、様々な妨害を受けながらも、対話を重ね、2月24日全県実施にこぎつけた。信念と努力のたまものだ。

 

沖縄県民投票のサイト

 

政府側の人々が、実施しても意味がない、結果に法的拘束力はない、と強弁すればするほど、沖縄の「県民投票」は、大きな意味を持つことになるだろう。

15日からは、期日前投票も始まるそうだ。

どうか今回の「県民投票」が、わたしたち一人一人が、沖縄について考え、政治について学ぶ機会となりますように . . . 。

 

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―― 2018年10月の日記から。

 

玉城デニーさんが立候補してくれて、よかった。 

翁長雄志知事の遺志を継ぐ人なら、誰であっても応援しようと決めていた。でも、デニーさんほどその大役にふさわしく、かつ魅力的な候補はいなかったと思う。 

 

もともと好印象だった。 

デニーさんは、国会議員のときからずっと、日米地位協定の改正を求め、辺野古の新基地にも反対していたから。 

2017年の衆院選では、小池百合子さんの ”希望の党” には合流しない、地元の人たちとの約束を守りたい、と言って無所属で立候補することをいちはやく表明。 

山本太郎さんの「兄」のような存在で、その上、ギターや歌もうまくてかっこいい!

 

けれど、デニーさんは、わたしが想像していたよりももっとずっと、遙かに素晴らしかった。その人となりを知るほどに、すごさがわかってくる。 

 

デニーさんの父親は、在日アメリカ軍の海兵隊員。1959年、デニーさんが生まれる前に軍の命令でアメリカへ帰ったから、デニーさんは父親の顔を知らない。貧しい母子家庭で育ち . . . といったことは、すでによく知られているだろう。 

沖縄に残されたウチナンチュの母親が、「ドル」を稼ぐために基地で住み込みで昼夜を問わず働いてくれたこと、その間、赤ちゃんのデニーさんはお友達の家に預けられていて、だから、デニーさんには二人のお母さんがいた . . . ことなどはどうだろうか? 

 

産みのお母さんを「アンマー」、育てのお母さんは「おっかあ」と呼んでいたんだって。 

子どもの頃は、”ハーフ(アメラジアン)”だという理由で、イジメにも遭った。

(アメラジアンとは、アメリカ人とアジア人の両親を持つ子どものことを指す) 

学校からよく泣きながら帰ったそうだ。 

そのたびに「おっかあ」が、違うことは恥ずかしいことではない、「トゥーヌイービヤ、ユヌタケヤアラン」と教え諭してくれたそうだ。

 

"トゥーヌイービヤ、ユヌタケヤアラン"

沖縄の黄金言葉(くがにくとぅば)で、

「十本の指は同じ丈ではない」の意。 

 

  十本の指の長さや形が違うように、人間はそれぞれが違っていい。

  いろんな人間がいるから世の中はちゃんと動く。

 

1970年、10歳の時、ようやっとアンマーと一緒に住み始める。

それがコザの町で、だからデニー少年は、その年の12月に起きた「コザ暴動」も目撃している。

沖縄の怒りが凝縮されたような暴動だった。

「車は焼け焦げ、ひっくり返されて、煙が立ち上がり、オイルの匂いやタイヤの焼ける匂いが充満していました。僕は何が起こったのかわからなくて、「戦争が起きたのか」と思いました。嘉手納基地のゲートの前から焼けた車がずっと連なっていたのを覚えています。見ている群衆はいっぱいいるのに、なぜかとても静かでした。誰も騒いでいなかった」

(玉城デニー・インタビュー / 2018 沖縄県知事選挙特設ページより)

 

1972年の沖縄本土復帰(沖縄返還)のとき、12歳。 

中学・高校時代は、音楽に夢中になって、やがてロックバンドまで組むことに。

それから、バンドマンや福祉や内装業などの仕事をしたのちに、ラジオのパーソナリティーとして人気者になっていく。

かなり異色の、とても ”沖縄らしい” 経歴の持ち主だ。 

 

とにかく、デニーさんは実際の様々な経験を通して、人の悲しみや淋しさ、苦しみを知っている。沖縄のちゃんぷるーな痛みも知っている。 

だから、デニーさんが言うと「多様性」や「寛容性」、「誰一人も取り残さない」という言葉はあたたかく、少しも嘘っぽくない。

 

恵まれた生い立ち、とは言えないのかもしれない。

けれど、デニーさんは深く愛されて育った人だ。愛された人だけが持つ、独得の、ナチュラルなおおらかさや優しさを、溢れるほどにたたえている。決して人を疑ってかからない。だから、信頼関係をつくることもできる。 

 

ある人が、デニーさんは、イソップ寓話「北風と太陽」の太陽だと言っていた。 

ほんとうに、陽光みたいだ。巧まずして人を和ませ、勇気づける。誰にもくまなく降りそそぐ。虐められている子、独りぼっちの子を絶対に放っておかない(おけない)。 

 

翁長雄志知事と比べると厳しさは足りないだろう。ちょっと頼りなくさえある。 

けれども、頼りない分、親しみやすい。デニーさんは、みんなが助けたくなる、手伝いたくなる政治家だ。人を巻き込む力を持っている。 

だからこそ、翁長知事の後継者としてベストの、奇跡のような候補者だったと思う。 

 

9月に名護の選挙事務所へ行ったときにも、それを実感した。 

玉城デニー候補のことを「玉城さん」という人は、一人もいなかった。 

ほとんどが「デニさん」、年配の人たちは「デニー」って呼び捨てだ。 

事務所の予定表にも、大きな文字が躍っていた。 

「9月20日(木)🌺 ”デニー、来る!” 」

 

デニさんは、ものすごく愛され、慕われていた。 

誰もが、なんとしてもデニさんを知事に、と願っていた。 

 

AさんやBさんは、心優しいデニさんに、大変な仕事を押しつけて申し訳ないという思いも抱いているようだった。

知事になったあとが大変な茨の道だということは、事務所にいる全員が承知していた。 

それでも、デニさんに沖縄の未来を託すのだ。 

 

こんなにヒリヒリするような、思いの詰まった、熱い選挙は初めてだった。

 

映画『沖縄スパイ戦史』の監督、三上智恵さんは、県知事選の三日後に記している。

 「…… かなり毛色の変わった知事が誕生した。しかし、たぶん政府はまだその意味を過小評価しているだろう」

 「翁長さんの後継者ならだれでも当選できたという選挙ではなかった。これだけ踏みつけられた人々だからこそ推す人間、沖縄からしか出てこない逸材 . . . 」

ウェブマガジン9「三上智恵の沖縄撮影日記<辺野古・高江>より

 

2019年2月。

玉城デニー知事の就任から4ヶ月がたって、あらためて三上さんの言葉を思う。

過小評価していたのはわたしも同じだ。やさしい雰囲気のデニー知事が、これほどまでに打たれ強い、信念の人だとは思っていなかった。

ほんとうに「沖縄からしか出てこない逸材」だったのだ。

 

前途多難なのはわかりきっている。政府の横暴は簡単には止まない。それでも、デニーさんは、「対話」を大切にやっていくだろう。

基地の問題だけでなく、ほかの公約実現のための取り組みも続けている。

今年度から、経済的に厳しい「一人親家庭」の高校生を対象に、バス通学の費用の一部を補助することが決まった。

将来の、中学生と高校生のバス通学費の無料化に向けて、アンケート調査も始まる。

 

全力で . . . 応援したい。💕

沖縄についてもう少し知るために

イソップ寓話「北風と太陽」はこんなお話です。

 

あるとき、北風と太陽が力比べをしようとする。そこで、旅人の上着を脱がせることができるか、という勝負をする。

まず、北風が力いっぱい吹いて上着を吹き飛ばそうとする。しかし寒さを嫌った旅人が上着をしっかり押さえてしまい、北風は旅人の服を脱がせることができなかった。

次に、太陽が燦燦と照りつけた。すると旅人は暑さに耐え切れず、今度は自分から上着を脱いでしまった。

これで、勝負は太陽の勝ちとなった。

(Wikipediaより)

 

詳しくは「北風と太陽」のサイトをご覧下さい。

 

Ryuichi Sakamoto - Undercooled (Live 05)

「弥勒世果報 (みるくゆがふ) - undercooled」の原曲undercooledをライブ盤のピアノソロで。

「北風と太陽」の話を紹介していたら、静謐なたたずまいを感じさせる、この曲が聴きたくなりました。

 

力づくで支配しようとしても、長い時間が経過するうちに、結局最後は負けるんです。

 

中村とうよう『ポピュラー音楽の世紀』岩波新書を読むたびに思います。

アフリカから世界中に奴隷として連れ出された黒人たちのうち、アメリカ合衆国に渡った人たちが、いまから一五〇年前、奴隷から解放されたとき、音楽やスポーツを中心として21世紀の大衆文化をリードするなんて誰が想像しただろうって。

最近、農業を勉強していて、ダーウィンの進化論を日本人は「弱肉強食」と間違って理解してることも思い出しました。

 ダーウィンも影響を受けた哲学者ハーバート・スペンサーが「サバイバル・オブ・フィッテスト」って提唱したワケですよね。

 正しくは「適者生存」です。強いモノが弱いモノを滅ぼすワケじゃないんですね。

 

この違いは、ものすごく大きいです。

 

そして、21世紀は土俵際まで追い詰められた「適者生存」が、徐々に「弱肉強食」を土俵中央まで押し返す時代になってゆくような予感があります。




第4回

汀間港へ抗議船の様子を見に行く途中、仲本さんは三原のお友達の家に寄った。台風で壊れた作業小屋の修理を頼むためだ。お友達は、風貌からかベートーベンと呼ばれていた。何でも直せる便利屋さんらしい。 

 

車で待つように言われたけれど、雨も上がったので、降りてあたりを歩いてみた。 

名護市以北、ヤンバル(山原)と呼ばれる地の、昔ながらの素朴な集落。石の塀で囲まれた古い寄棟の平屋、どこまでが庭でどこからが畑なのか、ニワトリたちが鳴いている。「コッコーーーーーーーーーーー、コケ」という長い鳴き声。 

一人のご老人が、台風で折れた木々の枝や散乱した落ち葉を片づけている。慣れた手つきで淡々と。琉球国(ルーチュークク)のころから長いあいだ、きっと幾度となく繰り返されてきた光景 . . . うちなーんちゅは、大自然の恵みを受け、その厳しさとも折り合いをつけて暮らしてきたんだろう。 

 

反対側には、見上げるほど高いフクギの防風垣。いただきから小鳥が3羽、4羽と飛び立つ。色も形も鳴き声もメジロ . . . だけど、小柄だ。(あとで調べたら、リュウキュウメジロらしい)これも、ベルクマンの法則だろうか? 

 

ベートーベンさんのお家から、仲本さんの作業小屋のある山のふもとへ。 

小屋のまわりに植えられた庭木3本が根こそぎ倒れ、畑の島バナナは全滅、ウコンや月桃もなぎ倒されていた。 

 

県知事選の投票日。沖本さんのもとへは、ひっきりなしに電話がかかってくる。会話が込み入って長くなることもしばしば。おかげで、わたしは一人あたりを見て回ることができた。 

 

雨上がりの畑を歩いていると、雲が切れて日が射してきた。それからの数分間のことを、わたしは生涯忘れないと思う。 

 

日が射してあたりが明るくなった瞬間、森から一斉に小鳥やセミの鳴き声が聞こえはじめた。そして、どこに隠れていたんだろう、たくさんのトンボが畑の上を飛び始めたのだ。おそらくウスバキトンボ、その数200匹かもっと。そして、10匹ほどの蝶々もヒラヒラ。マダラチョウの仲間だと思う。 

すこし歩いて行くと、10㎝以上もありそうな大きなバッタが草むらの中をビュンビュン飛んでいる。最初はネズミかなにか、小動物かと思った。 

あの凄まじい暴風雨のあいだ、みんなどこに隠れていたんだろう。 

太古の昔から続く生命のなんという力 . . . ! 

 

伊豆の小島で生まれ、自然に囲まれて育ったわたしだけれど、それでも衝撃を受けた。

 

草いきれの中で、圧倒され、まるで時間が止まったように感じた。 

辺野古の森、すごい . . 。   

当たり前だけど、命どぅ宝(ぬちどぅたから)は、人間だけじゃないね。 

生きとし生けるものすべて、宝物だ。 

 

エコって、何だろう? 

わたしたち、もうこれ以上便利にならなくていいんじゃないか。 

それで、自然を守れるなら、共生できるなら、 

世界の不均衡も小さくなるなら . . . 

 

豊かさって、何だろう? 

辺野古で、また大きな宿題をもらった。

リュウキュウメジロ(wikipediaよりクリエイティブ・コモンズ)
リュウキュウメジロ(wikipediaよりクリエイティブ・コモンズ)

沖縄についてもう少し知るために

ちょっと風変わりなマーケティング・コンサルタントの甲斐徹郎さんが書いた『自分のためのエコロジー』という本を読んでいたら、こんなことが書いてありました。

渋谷やみぃさんが滞在した名護の近所には備瀬という集落があって、そこでは住宅が自然とケンカするのではなく、調和しながら美しい景観を作り上げているそうです。

防風林が海からの風を柔らかく受け止め、自然の空調設備になって、家々を冷やす。

ほんの50年~60年前まで、日本中どこでも、自然の仕組みを生かした、地に足のついた暮らし方をしていたわけで、長い歴史からみれば、ほんの一瞬でしょう。

やみぃさんが沖縄の自然に衝撃を受けた気持ちは、ぼくもよく分かります。

屋根までとどく、あじさいの木。ホテルの庭木にとまった見たこともない巨大なコウモリ。

そして、もちろん、どこまでも青い海と白い砂浜。

 

『自分のためのエコロジー』について書いたブログがありましたので、そちらのリンクもはります。

ARCHISCAPE



第3回

2019年1月26日

2月24日の辺野古の新基地建設をめぐる沖縄県民投票は、「賛成」「反対」の2択に「どちらでもない」を加えた形で、全県同日実施ができそうとのこと。

「『辺野古』県民投票の会」の元山仁士郎代表のハンストや署名活動などが、人々の心を動かした結果だろう。

2018年9月30日、玉城デニー知事が誕生してから、わずか4ヶ月。その間、あまりにも多くのことが起きている。

 

10月9日、翁長知事の県民葬。

12月14日、辺野古に土砂投入。

 

軟弱地盤の存在で工事の見通しがまったく立たないのに。しかも、土砂は不許可の赤土入りで、なぜか高価なもの。

2019年1月8日、 「辺野古の土砂投入を止めて」というホワイトハウスへの嘆願署名、20万筆を超える。

1月15日~19日、元山仁士郎さん、宜野湾市役所前でハンガーストライキを決行。

 

昨年9月に、名護や宜野湾で出会った人たちは、お元気だろうか、いま、どんな気持ちでいるだろうか . . . 思いをはせる。

ガジュマルの木(クリエイティブ・コモンズ)
ガジュマルの木(クリエイティブ・コモンズ)

9月29日。台風24号のために、那覇空港は、国内線・国際線の約320便が全便欠航。空港へのモノレールやバスも運休、ターミナルビルも終日閉鎖となった。 

 

名護の事務所で、投票依頼の電話をするとき、名前の読み方で苦労した。 

県外から手伝いに来た人用だろう、むずかしい地名や姓が一覧表にして貼ってある。 

電話がけの名簿をもらって最初にするのは、お名前にふりがなを振ることだった。 

 

東我謝(あがりがじゃ)、安慶名(あげな)、伊是名(いぜな)、伊良波(いらは)、運天(うんてん)、大宜見(おおぎみ) . . . 

 

東をアガリと読むのは、日が上がるから? 

そうか、西表(いりおもて)は . . . 日の入りのイリだ! 

 

独得の音や読み方が、おもしろい。 

うっかり読みを確認せずに電話をしてしまって、 

「ごめんなさい、お名前、どうお読みするんでしょうか . . 」 

などという、とんでもないところから、お話させていただけることも。 

 

台風のさなかだというのに、丁寧に応対してくださる人が多くて、感激する。中には、「だいじょうぶじゃないさ、まだ停電してて困ってるよー! でも投票には行ってきたよ、デニーさんに知事になってほしいからね、おねえさんもちばりよー!」 

思わず電話口でお辞儀をして拝む。 

にふぇーでーびる! 

 

(選挙のお手伝いに来たのだから、どこも観光しなくていい)と思っていた。 でも、電話がけをしながら、人情にふれ沖縄の情緒も味わえて、観光以上の経験だ。 

 

ホテルから事務所まで歩くあいだにも、ひんぷんガジュマル(大きなガジュマルの老木)があったりして、楽しかった。 

沖縄のお墓は、ひとつひとつが頑丈な「ちいさいおうち」みたい。見飽きない。名護博物館の前も何度も通った。「名護・やんばるの生活と自然」をテーマにしているそうだ。 

また名護へ行ったら、そのときにはきっと訪れてみよう。💕 

9月30日、投票日。

台風の風はおさまり、雨も小降りになってきた。けれど、町のあちこちに壊れた看板などが散乱し、折れた街路樹が道をふさぐ。信号も消えたままだ。 

友人の脚本家、ヤマザキさんは、この日帰京予定。無事に那覇へ行けますように、飛行機が飛びますように、と祈りつつ、わたしは一人名護のデニー事務所へ向かう。 

 

「いやあ、畑の作業小屋が壊れたそうなんだ。船も心配だから、ちょっと見てくるよ」 

ヘリ基地反対協議会の仲本さんが、事務局長の森本さんに話していた。 

「船 、見たいなあ . . . 」思わず声にしてしまった。 

よっぽど見たそうだったに違いない。仲本さんが一緒に連れて行ってくれることになった。 

 

ずっと行きたかった辺野古! 今回は無理だとあきらめていた辺野古! 

「戻ったら電話がけ、がんばります」と事務局長に約束し、仲本さんの車に乗せてもらう。 

雨あがりの汀間(てぃーま)川。生い茂るマングローブの樹上で白いコサギの群れが休んでいる。まるで絵画を眺めているみたいだ。 

 

河口が近づき、潮の香りがしてくる。 

ほどなく五隻の抗議船が並んだ場所へ。幸いどの船にも、台風の被害はなさそうとのことだった。いままで何度海に出たんだろう、何人の人を乗せたんだろう。「平和丸」と「美ら海(ちゅらうみ)」につけられたレインボーフラッグは3分の1ほどにちぎれていた。 

 

辺野古の海は、嵐が去ったばかりだというのに、翡翠とミルクを溶かしたような色をたたえていた。なんて美しいんだろう。ほんとうに美ら海だ . . .  胸がいっぱいになる。 

 

キャンプ・シュワブのゲート前には、座り込む人もいないのにALSOK(アルソック)の警備員が並んでいた。微動だにせずものものしい雰囲気。 

 

「けれども目の前のこの人たちは”敵”ではないわけさ、仕事だから立ってる人が大半でさ。絶対に敵ではないんだよ。」 

仲本さんはつぶやくように、半分独り言みたいに言う。 

故翁長知事の言葉を思い出す。 

「ウチナンチュが分断されて憎み合っているのを後ろの方で笑ってみている人がいる。戦うべき相手はその後ろにいる人たちだ」

帰りがけ、仲本さんは、大浦湾を一望できる西側の高台にも寄ってくれる。黒い牛が日なたぼっこしている。

埋め立てられようとしている辺野古の海は、写真や映像で見るよりも、ずっとずっと広かった。 

2011年9月東日本大震災のあと、初めて陸前高田の海を見たときの衝撃を思い出した。 

 テレビで見る映像は、どんなに鮮明だとしても「面」なんだと思った。 

画面からは、見渡すかぎり広がる荒涼とした風景の、"奥ゆき" や "広がり" が、ほんとうには感じられない。 

町全体が根こそぎ持っていかれた、その根こそぎの "深さ" が、感じられない。  

深さも匂いも感触も、ほんとうには感じられない、と。 

 

涙があふれた。

こんなに美しい海を埋め立ててはいけない。 

軍事利用という殺伐が、これほど似合わない場所はない。 

この海を戦争のために使うなんて、許してはいけない。 

 

いままでも、ずっとそう思っていた。だから、辺野古へ行きたかった。 でも、実際に行ったら、もっと . . . からだじゅうが思った。

絶対にこの海を埋め立ててはいけない。

うないぐみ+坂本龍一「弥勒世果報 (みるくゆがふ) - undercooled」

 【うないぐみ profile】

沖縄民謡の古謝美佐子、宮里奈美子、比屋根幸乃、島袋恵美子の4名からなる女性グループ。

「童神」のヒット曲でも知られる古謝美佐子を始め初代ネーネーズに在籍した宮里、比屋根に加え、かねてから親交のあった島袋が参加して2014年から正式に活動を始める。

「うない」とは沖縄方言で「姉妹」の意味。4人とも沖縄民謡に精通した実力派民謡歌手の集まりで、4名のユニゾンとともに各メンバーのソロも演唱する。レパートリーも伝統的な沖縄民謡からオリジナル曲、カバー曲まで多種多彩。

本楽曲の売上げからレーベルサイドの手数料や諸経費をのぞいたアーティストの収入は全て*辺野古基金に寄付されるそうです。

 

*辺野古基金:辺野古新基地建設に反対し、建白書において要求されたオスプレイ配備の撤回、普天間基地の閉鎖・撤去及び県内移設を断念させる運動(活動)の前進を図るために物心両面からの支援を行い、沖縄の未来を拓くことを目的とする。



第2回

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9月30日、デニーさんと一緒に、どうしても当選してほしかった人がいる。宜野湾(ぎのわん)市長候補、仲西春雅(ナカニシ ハルマサ)さんだ。 

28日(金)、名護で朝のスタンディングのあと、県と市、ダブル選挙の宜野湾市へ応援に行った。

事務長いわく、「仲西春雅さんは良い候補だけど、まったく歯が立たないだろうと言われていた。しかし、選挙戦も終盤に近づき、前市長の後継者をかなり追い上げている、今朝、手伝いに来てほしいとの依頼が来た。宜野湾では名護よりもさらに人が足りない。行ってナカニシさんを応援をすることは、デニーさんの応援にもなる。一石二鳥だ。」 

それで、名護から宜野湾に6人が派遣されることになった。車2台に3人ずつ。わたしは、事務局の比嘉さんと、先輩で友人のヤマザキさんとチームを組んだ。 

台風24号が近づく中、住宅街をのぼり旗と拡声器のセットをかついで、プチ街宣。 

「知事には、玉城デニー、市長には、ナカニシ春雅」 

二人の候補の政策と魅力をアピールして歩いた。 

 

拡声器で話しているときも、強風の中、のぼり旗を持ってえっちらおっちら歩いているときも、驚くほど多くのドライバーさんが、応えてくれる。 

手を振ったりガッツポーズをしたり、クラクションを鳴らしたり。中には車を止めて、「けさ、デニーさんとナカニシさんに投票してきたよ」「絶対に勝ちましょうね」と言ってくれる人まで。 

住宅の側でも、待っていましたとばかりに、窓を開けて手を振ったり「がんばって!」と声をかけてくれる人が続く。わたしは感激で、どうしていいかわからない。 

翁長樹子さんとは真逆の「何なんですかこれは」だ。 

 

ほんとうに、どうしたことだろう? 仲西さんが善戦しているとは聞いていたけれど、予想をはるかに超えるすごい手応えだ。 

宜野湾、デニってる!? ナカニシってる!?  

もしかすると、県知事選に出馬した、いままでの市長の佐喜真淳氏に失望している人が多いってことだろうか? それとも、相手方陣営のプロっぽい組織的な選挙のしかたに嫌気がさしているのだろうか? 

 

わからない。だけど、とにかく、あたたかい。 

中でも、赤ちゃんを抱いたお母さんなど、若い女性たちの歓迎ぶりが印象的だった。 

 

去年12月に相次いだ、宜野湾市の保育園に米軍ヘリの部品が落ちていた事故や小学校への窓枠落下事故 . . . やっぱり関係あるのかな。普天間基地の近くの人たちはつねに不安な思いをしている。だから、そうした事故が起きたときに寄り添ってくれた仲西さんを応援するの、当然なのかもしれない。 

そんなことを思いながら、マイクをにぎり、手を振り、お辞儀をし、ちらしをポスティングして歩いた。 

仲西さんは、故翁長知事やデニーさんと同様、普天間基地の無条件の閉鎖を訴え、辺野古移設には「反対する」と明言している。 それで、わたしは仲西さんに、ぜひとも宜野湾市長になってほしかったのだ。 

結果は20975票を獲得して、文字どおり善戦。けれど、自公系の松川正則氏に、5239票及ばなかった。 

 

あとから聞いたところによれば、 仲西さんは、スロースタート。8月末に宜野湾市長選挙への出馬の要請を受け、そこからまっさらの立ち上げだったそうだ。

言っても詮ないことだけど、もうすこし時間があったら . . . とやはり考えてしまう。 

新市長の松川さんは、辺野古移設に関しては「国の専権事項であり、市からは発信できない」と賛否を明らかにしていない。でも、今回の選挙で、組織票がほとんどなく、台風も来ちゃったにもかかわらず、仲西さんが2万を超える人々の支持を集めたことを、受け止めてほしい。 

辺野古やよそに新基地を作らなくても、普天間の閉鎖・返還はできるはずだもの。

政府は、辺野古の埋め立てなんかじゃなく、不公平な日米地位協定の見直しをしなくちゃ。それに、米軍機の飛行ルートや時間を制限するなど、いますぐにもできることだっていっぱいだ。

 

10月1日、仲西春雅さんのツイートは次のよう。

”応援してくださったみなさま、この度は力及ばず当選することができませんでした。

当選した松川正則新市長、ぜひ子どもの安心・安全を最優先に宜野湾市政を担っていただければと思います。

私も引き続きできることをがんばってまいります。

今後ともよろしくお願いいたします!”

https://twitter.com/Nakanishi0930

力及ばなかったのは、わたしたちのほう。仲西さんのような素晴らしい候補者を当選させられなくて . . . 。次回こそきっと!

 

名護から宜野湾へは、高速を使って一時間ちょっと。 

往復で二時間半。 

選挙事務所の女性スタッフ比嘉末美さんが、運転をしながら、様々な沖縄の話をしてくれる。比嘉さんはふだん仕事で地域の人たちの相談にのっている。

沖縄には、借金苦やDV被害から逃れるために、本土から夜逃げ同然にして移り住んでくる人も多いそうだ。比嘉さんはそういった人たちを助けたりもしているらしい。 

たしかに、夜逃げをするなら沖縄がいいな、と思う。 

追っ手も沖縄まではなかなか来ないだろうし、第一、暖かい。薄くて軽い服やサンダルだけ持てば済むの、逃げるのにはうってつけだ。街も、多様性があって、ちょっとごちゃごちゃしていて、紛れやすい。 

それに、なんといっても、大らかでやさしい人が多いから、かくまってもらえそうな気がする。 

駆け落ちして行く人もいるかなあ . . . ? 

比嘉さんの話を聞きながら、沖縄への移住だとか、いろいろ夢想して楽しかった。

 

埼玉の自宅へ戻ってからも、ずっと沖縄熱が続いていた。

新知事デニーさんのことを海外メディアが絶賛していると聞き、涙ぐむ。

そして、日本でも、カチャーシーを習う人、かりゆしウエアを着る人が、増えるだろう、と嬉しくなった。



第1回

2018年9月30日夜。

名護の玉城デニー事務所では、支援者25人ほどが歓喜の瞬間を待っていた。

9時34分、みんなで手をつなぎ、テレビ画面に映し出されるデニーさんの合図に合わせて、万歳をする。よかった、ほんとうによかった。両手をつないでいるから、あふれる涙をぬぐえない。ふっと「ああ、涙はこんなふうに流れ落ちるんだった . . . 」と思う。

名護の事務所は、たいそう地味で、那覇の選挙事務所のような若さや華やかさはない。だけど、すてきだった。デニー知事誕生のためにずっと頑張ってきた人たちが、顔をくしゃくしゃにして喜び、泣いている。歓喜と安堵がまじりあったそれぞれの表情に、わたしの涙腺も崩壊した。

「名護市周辺では厳しい戦いを強いられている」と聞いていた。キャンプ・シュワブや辺野古の建設現場など基地の仕事で生計をたてている人が多い。その上今回は、日本政府の信じられないほどの圧力がかかった。にもかかわらず、デニーさんは名護市で16,796票を獲得。佐喜真淳氏の得票を1783票も上回った。

その誠実でやさしく飾らない人柄や、政治家としての可能性が伝わっていたのだと思う。ほんとうにデニーさんほど魅力的な候補者は、そうはいない。沖縄県全体では、過去最多得票の39万票余。無党派層の7割、公明党支持層の3割弱がデニーさんに投票したそうだ。

投票日の30日は、大きな台風24号の影響で、市内のあちこちで倒木、通行止め。前夜からの停電が続いている地区も多かった。消防車や救急車のサイレンが聞こえる。休日返上で職場へ駆けつけた人もいただろう。人や家は無事でも、鶏小屋が飛ばされた、船が壊れたなど、聞こえてくるだけでも、被害は甚大だった。

わたしが見た地域でも、サトウキビ畑やウコン畑は全面がなぎ倒され、ハウスのビニールは破れ、バナナの木もバキバキに折れていた。

前日の29日は、期日前投票所もほとんどが閉鎖。だから28~30日、投票に行きたくても行けなかった人も多かったに違いない。

もしも台風が来なかったら、差はさらに広がっていた。デニーさんの圧勝、どれほどの圧勝だっただろうかと思わずにいられない。

とにかく沖縄の人たちは、現政権のやりかたに四年前よりもさらに強い「ノー」の意思、民意を示したのだ。 「沖縄」に新基地はいらない。普天間基地は閉鎖・返還(辺野古に"移設"ではなくて)!と。

沖縄は、すごい、ほんとうにすごい。

 

もちろん 玉城デニー知事、これからが大変、茨の道だ。

安倍政権は、沖縄の民意に反し、移設工事を進めようとするだろう。工事で得をする人たちだけのために。そして、沖縄を犠牲にしてアメリカに貢ぎ続けるんだろう。

でも、デニーさんなら、きっとだいじょうぶ。国によって引き裂かれ、分断されてしまった沖縄を、数字ではとうてい測り切れない人々の複雑な思いを、きっとひとつにまとめてくれる。

 

わたしにできることは何でもしよう。 まずは、埼玉で現政権に「ノー」を示すこと。

そして、沖縄が置かれた苦境と、すてきな新知事誕生のいきさつを、周りの人たちに知らせていくこと。

玉城デニー知事の応援につながること、ナイチャー(ヤマトンチュ)のわたしがすべきこと、しっかり考えていきたい。

10月1日、沖縄からの帰り道。JALの客室乗務員さんの何人かが、胸にピンクリボンをつけていた。そのうちの一人に「ピンクリボン(乳がん啓発)月間ですね」と声をかけると、 「はい、今日からです」 うれしそうに微笑んでくれた。

 

沖縄についてもう少し知るために

柳宗悦著『民藝四十年』岩波文庫

発行人は家族旅行で、嫌々沖縄に行くことになり、何の期待もせずに那覇のホテルにたどり着いて、旅行鞄の中に放り込んでおいた未読の岩波文庫を読んで目から鱗が落ち、以後重度の沖縄病患者への道をまっしぐらに進むことになります。

その本こそ、柳宗悦著『民藝四十年』の一章「琉球の富」です。

この本を読むと、ぼくたちが、日本らしくないと感じている沖縄の生活文化が、実は古来の日本の生活文化に直結していることがわかります。