こっそり読もう、こどもハートの文学入門


第3回

新冬二:作

鈴木琢磨:絵

『口笛のあいつ』

理論社


評者: 大橋悦子

絵本の店おひさま堂代表

[プロフィール]

2006年子どもの本専門の古書店「おひさま堂」創業。

川崎市にて、厚生労働大臣より主任児童委員の委嘱を受け、子育て支援に携わる中で読書推進活動を行う。

2013年那須高原に転居。

JPIC読書アドバイザー。



児童文学では、闇にうごめく強大な敵との対決を描くファンタジーは多い。例えばハリー・ポッター、例えば『ホビットの冒険』……本好きな人なら、いくらでも書名を上げることができるだろう。

 

だが『口笛のあいつ』は、同じく闇にうごめく敵を描いても、そういったファンタジーとは一線を画すとんでもない作品だ。

 

舞台となるのは架空の港町。主人公の勝次は妹のよし子を連れて、深夜の港を徘徊している。なぜ? 彼は家に帰りたくないのだ。家では両親が仲間とともに花札やマージャンなどの博打に興じている。おそらく、子どもたちが出て行ったことに気づいていないか、気づいていても好都合と思っているのだろう。

 

お話は、初版が出された1969年より少し昔のことだと著者はいう。上記のような設定がそれほど奇妙でない時代が、高度経済成長期前の日本には確かにあった。戦後の飢えの苦しみは抜け出したかに見えるが、現代に比べれば大多数の人が貧しく、がむしゃらに生きていた。良くも悪くも社会全体が大雑把で寛容な時代であり、現在の日本とはまるで別の国のようである。その時代を知る人だけが、この物語の、読者にまとわりつくような退廃的な雰囲気を実感できるのかもしれない。

 

話を、物語に戻そう。夢か現実か、はっきりそれとはわからない中で、兄妹は口笛を吹く男マルクと出会う。胡散臭いというよりは、もっとねっとりしたコールタールのような闇を感じさせる男だ。だが、彼の口笛はなぜか童謡「夕空はれて」なのである。

 

一方、もう一人の主人公不二夫も、口笛を吹く男デイルに出会う。デイルが吹く口笛の曲も「夕空はれて」である。不二夫は、勝次の同級生だ。そして、不二夫もまた、家庭に問題を抱えている……。

 

二人の少年は、それぞれが出会った男に犯罪のにおいを感じ、それぞれ独自に調査を進める。彼らの前に、次々に現れる大人たちは、それぞれに少年たちを取り込もうとする。ある男は少年に金を渡し、ある女は遊園地へと誘う。目的は何だろう? 少年たちを麻薬の運び屋にしようというのか?

 

物語の中では、♪キサス・キサス・キサス♪(それは、アイ・ジョージやザ・ピーナッツがカバーしたキューバの曲である)が流れる喫茶店や、輸入品を扱うテーラーなど、いかにも港町にふさわしい場所が描かれて、時代の雰囲気をよく伝えるのだが、その臨場感に反して、現実に起きているのかいないのかはっきりとはわからない謎が、次第に増え深まっていく。

 

・勝次の両親が、行方不明になってしまうのはなぜ?

・賭博の胴元に預けられているという、妹のよし子の安否は?

・密輸組織の仲間かもしれない、不二夫の兄はどこに?

 

ところが、それらの謎が明かされぬまま、物語は唐突に終わりを迎える。

 

えっ? それで、終わり? 

 

昭和20年代から30年代にかけてのリアルな日本の描写に対して、あまりに掴みどころのないストーリーに、何とも言えない気持ち悪さが残る。とはいっても、決して批難しているわけではない。むしろ「日本に、こんな児童書があったのか?」と驚いている。不条理劇を見たような、独特な読後感に酔っている。主人公の年齢から考えれば、本書の対象年齢は小学校高学年からということになるのだろう。小学生にこんな本を読ませるのか⁈ 国語教育の一環としてしか読書を捉えられない現代の親たちからすれば、きっと狂気の沙汰に思えるだろう。

 

いろいろな意味で、本気の児童書だね。残念ながらすでに絶版。しかも、流通の少ない稀少本。栃木県内の図書館には1冊もなかったが、例えば川崎市立図書館では貸出可能である。本書を手にするまで、ちょっと手間はかかるだろうが、時には、こんな児童書を読んでみてはいかがだろうか? 港・密輸・やくざの抗争そしてブルーのコートの女、そんな児童書、ほかにはないと思うので。


第2回

アミーチス:作

前田晁:訳

『クオレ』

岩波書店

子どものころは、物語の背景となる時代や文化について何も考えずに、ただストーリーを楽しむものです。おとなになって、ふっと「あれは、何だったんだろう?」と考えてみるのは、なかなかに面白い謎解きでもあります。

 例えば、アニメも人気があった「母をたずねて三千里」。イタリア・ジェノヴァに住む少年マルコのお母さんは、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスへ働きに行っていましたが、ぱったりと音信が途絶えたために、幼いマルコが約1万2000kmの距離を訪ねてゆくという感動的な物語です。でも、お母さんはどうして、はるばるアルゼンチンまで行かなければならなかったのでしょう。隣国のドイツやフランスでもよさそうなものなのに……。

 マルコのお話が収められたアミーチスの『クオレ』が刊行されたのは1886年です。そのころのイタリアやドイツ、フランスなどでは、産業革命が進んで人口爆発が起こり、労働人口が余っていました。一方、当時のアルゼンチンは絶大な経済力を誇り、「世界を制するのはアメリカか、アルゼンチンか」とまで言われていたのです。

『クオレ』の出版された年は、奇しくも最初の日本人移住者がアルゼンチンに向かった年でした。アルゼンチンのGDPは日本の2倍もありましたし、開国してまもない日本では労働力が余っていました。その後、アルゼンチンは工業化への産業転換に乗り遅れ、日本は見事な発展を遂げるという皮肉な展開となりました。

 産業革命が労働人口の余剰を生んだように、これからAI革命によって雇用が減少することが予測されています。マルコのお母さんのように、私たちも仕事を求めて海外へ行く時代が来るかもしれないこと、国の経済力は時代によって激変することを、「母をたずねて三千里」は教えてくれます。子どもの本から歴史を知り、未来に思いを馳せることもできるんです!

 

『口笛のあいつ』は現在版元、品切れ中。ネットの古本屋サイトでも、なかなか見つからない超レアアイテムです。だからこそ、大橋さんの書評を読むと、無性に読みたくなります。図書館などで、探してみてください。


評者: 松村由利子(まつむらゆりこ)

歌人・フリーライター

[プロフィール]2006年まで新聞記者として働いたのち、フリーランスに。

著書に『少年少女のための文学全集があったころ』など。


松村さんのツイッター

https://twitter.com/yukoshka

公式ブログ:そらいろ短歌通信 松村由利子の自由帳

 

松村由利子さんの経歴について、詳しくはフリー百科事典ウィキペディアの松村由利子の項を参照してください。


岩波少年文庫版『クオレ』は現在、版元品切れ中ですが、矢崎源九郎訳で偕成社文庫から発売されています。

その他、講談社の21世紀版少年少女世界文学館セット (21世紀版・少年少女世界文学館)の第22巻にも『クオレ』があります。



第1回

ミヒャエル・エンデ:作

大島かおり:訳

『モモ  時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語』

岩波書店

長くなったり、短くなったり、それも人によって変わったり……と、「時間」はなんとも摩訶不思議な代物です。しかも、子どもたちにとっては大人以上に伸び縮みが激しいようで、彼らはいつだって、大人とは違う独特の時間感覚を持っているようです。

 

そんな「時間」を、人々からかすめ盗る時間泥棒「灰色の男たち」と、盗まれた時間をとり戻そうと奮闘する少女「モモ」の攻防を描いたファンタジーを、ご紹介しましょう。
灰色の男たちは、人々に気づかれないように、少しずつ巧妙に時間を盗んでいきます。盗まれた人々は、次第に時間に追われ、結果として生産性や効率ばかりを優先する暮らしになってしまいました。ところがモモだけが、この時間泥棒の存在に気づき、人々の盗まれた時間を取り戻すべく、灰色の男たちに戦いを挑むのです。
物語は、半世紀近く前に書かれたものなのに、現代社会への風刺に満ち満ちています。その風刺は、単なる風刺にとどまらず、現実となって、今の時代を灰色一色に塗り固めているようにさえ思えます。未来のためという名目で、今を捨てて生きる私たちは、知らず知らずのうちに、灰色の男たちの餌食になっているに違いありません。
いつも「忙しい!忙しい!」と言っている人にこそ、おすすめしたい児童文学だけれど、そういう人は「児童書なんか読んでいる時間はない!」と言うかもしれないなあ。それでも、時には思い切って、大人になって久しく忘れていた、あの「子どもの時間」に身を置いて楽しみたいものです。
少なくとも、「こどもの心」を忘れずに「大人の頭脳」を働かせて作品を生み出したミヒャエル・エンデだけは、その態度を褒めてくれると思うのですけれど……。

絵本の店 おひさま堂代表

[プロフィール]

2006年子どもの本専門の古書店「おひさま堂」創業。

川崎市にて、厚生労働大臣より主任児童委員の委嘱を受け、子育て支援に携わる中で読書推進活動を行う。

2013年那須高原に転居。

JPIC読書アドバイザー。


大橋さんのセンスが光る、おひさま堂さんのホームページは下記の通りです。

URL:https://ohisamadou.com/

 


画像は1976年に刊行された単行本の表紙です。現在入手可能なのは下記の岩波少年文庫版になります。

価格:864円

サイズ:新書版 410ページ

ISBN:9784001141276

刊行日 2005/06/16


著者のミヒャエル・エンデについて、詳しくはフリー百科事典ウィキペディアのミヒャエル・エンデの項を参照してください。