こっそり読もう、こどもハートの文学入門


第6回

ジャッキー・フレンチ:作

さくまゆみこ:訳

『ヒットラーのむすめ』

鈴木出版

『ヒットラーのむすめ』は、実に不思議な物語である。

 

子どもたちがスクールバスを待つ間に始めた「お話しゲーム」。もともとは、新入生トレーシーを退屈させないようにと、何度か繰り返したお遊びだったが、トレーシーの姉アンナが今回選んだテーマは、ヒットラーだった。

 

いつもは、冒険活劇などを好むマークだったが、その時ばかりは、なぜかアンナのお話にぐんぐん惹きこまれていく。そのマークを通じて、戦争のこと、戦争を容認した人々のこと、正しいこととは何かということ、自分の頭で考えるということ、大人が子どもに接するときの態度等々、様々な問題提起が行われる。

 

物語は、メインストーリーの中に「ヒットラーのむすめのおはなし」が入れ子になった構成で、読みながら、上記の問題提起について読者もまた考えながら本を読み進めていくことになるだろう。

 

その巧みな構成が、読者を捉えて離さない。そこにフィクションならざるものの力が加わって読者を魅了する。 いや、騙されてはいけない。このお話はフィクションのはずだ。だが、読み進めるにしたがって、史実と虚構が入り乱れ、時に虚構が真実となり、真実が虚構になったような錯覚を覚える。そんな矛盾を当たり前のように内包しているところが、この作品を不思議な物語と感じさせる所以なのかもしれない。

 

作中物語は、いわゆる日陰の身でありながら、賢く冷静に生き抜いたヒットラーの娘ハイジのお話で、そのテーマは、もちろん平和ということ。一方、その物語に関心を寄せるマークの姿からは、「自分で考える」ことの大切さが浮かび上がってくる。自分の頭で考えなければ、本当のことは見えてこないのだ。いや、それも騙されてはいけない。考えたって、見えたつもりになっているだけかもしれないのだから。

 

毎年終戦記念日が近づくと、戦争の本を読む人も多いだろうが、戦争の悲惨さを直接伝える作品ばかりでなく、時にはこんなお話もよいのではないかと思う。このお話なら、読者も戦争について「自分の頭で」考えることができるだろうから……なんてね、この紹介文にも騙されているかもしれませんよ。

 


評者: 大橋悦子

絵本の店おひさま堂代表

[プロフィール]

2006年子どもの本専門の古書店「おひさま堂」創業。

川崎市にて、厚生労働大臣より主任児童委員の委嘱を受け、子育て支援に携わる中で読書推進活動を行う。

2013年那須高原に転居。

JPIC読書アドバイザー。

発売日: 2018年3月9日

ISBN-13: 978-4790233404



第5回

ジャネット・テーラー・ライル:作

多賀京子:訳

『花になった子どもたち』

福音館書店

 おとなになってから読む子どもの本って、ほとんどの場合、自分が幼いころに読んだものを再読するパターンではないでしょうか。それはそれでよいのですが、現代の作品にも手を伸ばしてみると、いろいろな発見があって時代の変化を知ることができます。

 私は、不思議なタイトルと表紙にひかれてこの本を手にとりました。読み始めて「お!」と思ったのは、主人公のオリヴィアの妹・ネリーがどうやら発達障害のようだと気づいたからです。

 オリヴィアは9歳、ネリーは5歳です。お母さんを亡くした2人は、お父さんがセールスの仕事をする夏の間だけということで、ミンティーおばさんの家に預けられます。ネリーが大切にしている23個のぬいぐるみをすべて持っていかないと眠れない、という最初のところで、「おや?…」と思うのですが、彼女のたくさんのこだわりを知るうちに、それは確信に変わり、心配が募ってきます。けれども、オリヴィアはちゃんとネリーの扱い方を心得ていますし、危ぶんでいたミンティーおばさんとの関係も少しずつよくなります。

 物語のテーマは、ネリーの性向などでは全くなく、ミンティーおばさんの庭の秘密と古い妖精物語が絡み合うなかで、姉妹が閉じていた心を広げ、伸びやかに育ってゆくプロセスです。親元を離れて暮らし始めた子どもが何かしら不思議なことを体験し成長するというのは、『ライオンと魔女』や『トムは真夜中の庭で』など、古典的なファンタジーと共通しています。アメリカでは1999年に出版された作品ですが、その点ではかつて親しんだファンタジーの延長のようにも感じました。

 オリヴィアもネリーもとても生き生きと描かれ、現代の子どもたちはネリーを「自閉症の子?」なんて思うことなく読み終えるかもしれません。このあたりは、おとなになって読む一種の寂しさかもしれません。でも、こんなふうに、ちょっぴり変わった子がふつうに登場する時代になったことを喜びたいと思います。本のなかにも、身の回りにも、いろいろな人がいて、みんながそれぞれ幸せに生きていること。それこそが、子どもたちに最も伝えたいメッセージなのですから。

 ヘイトスピーチや差別をなくすのは容易ではありません。理屈でなく感覚としてさまざまな差異を受け容れるうえで、こうした物語の持つ力は小さくないと思います。


評者: 松村由利子(まつむらゆりこ)

歌人・フリーライター

[プロフィール]2006年まで新聞記者として働いたのち、フリーランスに。

著書に『少年少女のための文学全集があったころ』など。


松村さんのツイッター

https://twitter.com/yukoshka

公式ブログ:そらいろ短歌通信 松村由利子の自由帳

 

松村由利子さんの経歴について、詳しくはフリー百科事典ウィキペディアの松村由利子の項を参照してください。


刊行日:2007年11月25日

ISBN-13: 978-4834021776

残念ながら『花になった子どもたち』は現在、版元品切れ中ですが、アマゾン等古書市場では、比較的容易に入手できるようなので、探してみて下さい。

松村さんが古典的なファンタジーとして挙げている作品『ライオンと魔女』や『トムは真夜中の庭で』は下記のリンクを参照して下さい。


現代を読み解く児童文学案内ということで、ある本を思い出しました。

「絵本が育む暮らし・まちづくりの発想」というサブタイトルがついた延藤安弘『こんなまちに住みたいナ』(2015年、晶文社)です。

延藤安弘さんは昨年、惜しくも急逝されましたが、絵本と住宅と都市というテーマで、長年活躍されました。

住宅や都市を追いかけていた発行人が、児童文学というテーマを手放さなかったのは延藤さんのご著書のお陰だと深く感謝しております。

改めて、故人の冥福を祈ります。



第4回



アストリッド・リンドグレーン:作

大塚勇三:訳

『長くつしたのピッピ』

岩波書店

この「こどもハートの文学入門」には、大橋悦子さんと松村由利子さんという、二大エースがいるので、発行人自ら原稿を書くつもりはなかったのですが、子どもの人権を取り巻く問題が注目されていますね。

けさのTBSテレビ「サンデーモーニング」でも取り上げていました。

そこで、この作品を取り上げることにしました。

 

『ピッピ』は、ぼくが下手な紹介文を書く必要もないくらい有名な作品ですが、読んだのは50年以上前で、記憶もだいぶ薄れていました。

当時は、ピッピの超人的な活躍にワクワクした思い出があります。

ところが、還暦過ぎたおじさんが、改めてこの物語を読むと、こどもを一人の人間として扱うのではなく、大人の目線でこどもを手なずけようとたくらむ、大人の身勝手さの方が、気になるのです。

 

渡辺京二『逝きし世の面影』を読むと、幕末から明治にかけて来日した外国人は日本では子どもが大事にされていることに、驚いたと記されています。当時の欧米人の子どもに対する扱いは、体罰を含む、もっと過酷なものだったようです。

 

それが、この150年間でいつの間にか、逆戻りしはじめて、「国連子どもの権利委員会」から子どもの人権問題に関して、勧告をうけるレベルまで落ちています。

 

この作品は大橋悦子さんの話では、以前ほど読まれなくなっているとのことですが、そういった状況を考えれば、いまこそ読まれるべき作品ではないかと思います。

 

スタジオジブリのテレビアニメ作品に予定されていたのが「長くつしたのピッピ」でしたが、原作者の許諾が得られず、断念したことも最近知りました。

もし、テレビアニメ化されていたら、『となりのトトロ』くらい、多くの人に愛されていたかもしれませんね。 


第3回

新冬二:作

鈴木琢磨:絵

『口笛のあいつ』

理論社

評者: 石井一彦

「よいこの経済新聞」発行人兼編集人


『長くつしたのピッピ』は、数種類の翻訳本が出版されていますが、読み比べて一番気に入ったのが、長く親しまれている大塚勇三訳です。

現在は岩波少年文庫の一冊として発行されています。

価格:680円

サイズ:その他・規格外・240頁

ISBN:9784001140149

刊行日:2000/06/16


渡辺京二『逝きし世の面影』は平凡社ライブラリーから刊行中です。

高畑勲・宮崎駿・小田部洋一『幻の「長くつ下のピッピ」』は岩波書店から現在、刊行中です。単行本の挿絵のピッピは9歳という年齢よりも大人っぽくて、若干違和感があったのですが、ジブリのピッピはさすがにピッピのイメージにぴったりで、挿絵だけみても楽しめる本です。


評者: 大橋悦子

絵本の店おひさま堂代表

[プロフィール]

2006年子どもの本専門の古書店「おひさま堂」創業。

川崎市にて、厚生労働大臣より主任児童委員の委嘱を受け、子育て支援に携わる中で読書推進活動を行う。

2013年那須高原に転居。

JPIC読書アドバイザー。



児童文学では、闇にうごめく強大な敵との対決を描くファンタジーは多い。例えばハリー・ポッター、例えば『ホビットの冒険』……本好きな人なら、いくらでも書名を上げることができるだろう。

 

だが『口笛のあいつ』は、同じく闇にうごめく敵を描いても、そういったファンタジーとは一線を画すとんでもない作品だ。

 

舞台となるのは架空の港町。主人公の勝次は妹のよし子を連れて、深夜の港を徘徊している。なぜ? 彼は家に帰りたくないのだ。家では両親が仲間とともに花札やマージャンなどの博打に興じている。おそらく、子どもたちが出て行ったことに気づいていないか、気づいていても好都合と思っているのだろう。

 

お話は、初版が出された1969年より少し昔のことだと著者はいう。上記のような設定がそれほど奇妙でない時代が、高度経済成長期前の日本には確かにあった。戦後の飢えの苦しみは抜け出したかに見えるが、現代に比べれば大多数の人が貧しく、がむしゃらに生きていた。良くも悪くも社会全体が大雑把で寛容な時代であり、現在の日本とはまるで別の国のようである。その時代を知る人だけが、この物語の、読者にまとわりつくような退廃的な雰囲気を実感できるのかもしれない。

 

話を、物語に戻そう。夢か現実か、はっきりそれとはわからない中で、兄妹は口笛を吹く男マルクと出会う。胡散臭いというよりは、もっとねっとりしたコールタールのような闇を感じさせる男だ。だが、彼の口笛はなぜか童謡「夕空はれて」なのである。

 

一方、もう一人の主人公不二夫も、口笛を吹く男デイルに出会う。デイルが吹く口笛の曲も「夕空はれて」である。不二夫は、勝次の同級生だ。そして、不二夫もまた、家庭に問題を抱えている……。

 

二人の少年は、それぞれが出会った男に犯罪のにおいを感じ、それぞれ独自に調査を進める。彼らの前に、次々に現れる大人たちは、それぞれに少年たちを取り込もうとする。ある男は少年に金を渡し、ある女は遊園地へと誘う。目的は何だろう? 少年たちを麻薬の運び屋にしようというのか?

 

物語の中では、♪キサス・キサス・キサス♪(それは、アイ・ジョージやザ・ピーナッツがカバーしたキューバの曲である)が流れる喫茶店や、輸入品を扱うテーラーなど、いかにも港町にふさわしい場所が描かれて、時代の雰囲気をよく伝えるのだが、その臨場感に反して、現実に起きているのかいないのかはっきりとはわからない謎が、次第に増え深まっていく。

 

・勝次の両親が、行方不明になってしまうのはなぜ?

・賭博の胴元に預けられているという、妹のよし子の安否は?

・密輸組織の仲間かもしれない、不二夫の兄はどこに?

 

ところが、それらの謎が明かされぬまま、物語は唐突に終わりを迎える。

 

えっ? それで、終わり? 

 

昭和20年代から30年代にかけてのリアルな日本の描写に対して、あまりに掴みどころのないストーリーに、何とも言えない気持ち悪さが残る。とはいっても、決して批難しているわけではない。むしろ「日本に、こんな児童書があったのか?」と驚いている。不条理劇を見たような、独特な読後感に酔っている。主人公の年齢から考えれば、本書の対象年齢は小学校高学年からということになるのだろう。小学生にこんな本を読ませるのか⁈ 国語教育の一環としてしか読書を捉えられない現代の親たちからすれば、きっと狂気の沙汰に思えるだろう。

 

いろいろな意味で、本気の児童書だね。残念ながらすでに絶版。しかも、流通の少ない稀少本。栃木県内の図書館には1冊もなかったが、例えば川崎市立図書館では貸出可能である。本書を手にするまで、ちょっと手間はかかるだろうが、時には、こんな児童書を読んでみてはいかがだろうか? 港・密輸・やくざの抗争そしてブルーのコートの女、そんな児童書、ほかにはないと思うので。


第2回

アミーチス:作

前田晁:訳

『クオレ』

岩波書店

子どものころは、物語の背景となる時代や文化について何も考えずに、ただストーリーを楽しむものです。おとなになって、ふっと「あれは、何だったんだろう?」と考えてみるのは、なかなかに面白い謎解きでもあります。

 例えば、アニメも人気があった「母をたずねて三千里」。イタリア・ジェノヴァに住む少年マルコのお母さんは、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスへ働きに行っていましたが、ぱったりと音信が途絶えたために、幼いマルコが約1万2000kmの距離を訪ねてゆくという感動的な物語です。でも、お母さんはどうして、はるばるアルゼンチンまで行かなければならなかったのでしょう。隣国のドイツやフランスでもよさそうなものなのに……。

 マルコのお話が収められたアミーチスの『クオレ』が刊行されたのは1886年です。そのころのイタリアやドイツ、フランスなどでは、産業革命が進んで人口爆発が起こり、労働人口が余っていました。一方、当時のアルゼンチンは絶大な経済力を誇り、「世界を制するのはアメリカか、アルゼンチンか」とまで言われていたのです。

『クオレ』の出版された年は、奇しくも最初の日本人移住者がアルゼンチンに向かった年でした。アルゼンチンのGDPは日本の2倍もありましたし、開国してまもない日本では労働力が余っていました。その後、アルゼンチンは工業化への産業転換に乗り遅れ、日本は見事な発展を遂げるという皮肉な展開となりました。

 産業革命が労働人口の余剰を生んだように、これからAI革命によって雇用が減少することが予測されています。マルコのお母さんのように、私たちも仕事を求めて海外へ行く時代が来るかもしれないこと、国の経済力は時代によって激変することを、「母をたずねて三千里」は教えてくれます。子どもの本から歴史を知り、未来に思いを馳せることもできるんです!

 

『口笛のあいつ』は現在版元、品切れ中。ネットの古本屋サイトでも、なかなか見つからない超レアアイテムです。だからこそ、大橋さんの書評を読むと、無性に読みたくなります。図書館などで、探してみてください。


評者: 松村由利子(まつむらゆりこ)

歌人・フリーライター

[プロフィール]2006年まで新聞記者として働いたのち、フリーランスに。

著書に『少年少女のための文学全集があったころ』など。


松村さんのツイッター

https://twitter.com/yukoshka

公式ブログ:そらいろ短歌通信 松村由利子の自由帳

 

松村由利子さんの経歴について、詳しくはフリー百科事典ウィキペディアの松村由利子の項を参照してください。


岩波少年文庫版『クオレ』は現在、版元品切れ中ですが、矢崎源九郎訳で偕成社文庫から発売されています。

その他、講談社の21世紀版少年少女世界文学館セット (21世紀版・少年少女世界文学館)の第22巻にも『クオレ』があります。



第1回

ミヒャエル・エンデ:作

大島かおり:訳

『モモ  時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語』

岩波書店

長くなったり、短くなったり、それも人によって変わったり……と、「時間」はなんとも摩訶不思議な代物です。しかも、子どもたちにとっては大人以上に伸び縮みが激しいようで、彼らはいつだって、大人とは違う独特の時間感覚を持っているようです。

 

そんな「時間」を、人々からかすめ盗る時間泥棒「灰色の男たち」と、盗まれた時間をとり戻そうと奮闘する少女「モモ」の攻防を描いたファンタジーを、ご紹介しましょう。
灰色の男たちは、人々に気づかれないように、少しずつ巧妙に時間を盗んでいきます。盗まれた人々は、次第に時間に追われ、結果として生産性や効率ばかりを優先する暮らしになってしまいました。ところがモモだけが、この時間泥棒の存在に気づき、人々の盗まれた時間を取り戻すべく、灰色の男たちに戦いを挑むのです。
物語は、半世紀近く前に書かれたものなのに、現代社会への風刺に満ち満ちています。その風刺は、単なる風刺にとどまらず、現実となって、今の時代を灰色一色に塗り固めているようにさえ思えます。未来のためという名目で、今を捨てて生きる私たちは、知らず知らずのうちに、灰色の男たちの餌食になっているに違いありません。
いつも「忙しい!忙しい!」と言っている人にこそ、おすすめしたい児童文学だけれど、そういう人は「児童書なんか読んでいる時間はない!」と言うかもしれないなあ。それでも、時には思い切って、大人になって久しく忘れていた、あの「子どもの時間」に身を置いて楽しみたいものです。
少なくとも、「こどもの心」を忘れずに「大人の頭脳」を働かせて作品を生み出したミヒャエル・エンデだけは、その態度を褒めてくれると思うのですけれど……。

絵本の店 おひさま堂代表

[プロフィール]

2006年子どもの本専門の古書店「おひさま堂」創業。

川崎市にて、厚生労働大臣より主任児童委員の委嘱を受け、子育て支援に携わる中で読書推進活動を行う。

2013年那須高原に転居。

JPIC読書アドバイザー。


大橋さんのセンスが光る、おひさま堂さんのホームページは下記の通りです。

URL:https://ohisamadou.com/

 


画像は1976年に刊行された単行本の表紙です。現在入手可能なのは下記の岩波少年文庫版になります。

価格:864円

サイズ:新書版 410ページ

ISBN:9784001141276

刊行日 2005/06/16


著者のミヒャエル・エンデについて、詳しくはフリー百科事典ウィキペディアのミヒャエル・エンデの項を参照してください。