いまひとたびの日本映画入門


『海街Diary』

2015年東宝、ギャガ

監督:是枝裕和

先日亡くなった樹木希林さんに惹かれて、アマゾンビデオを探していたら、『万引き家族』により、カンヌ映画祭でパルムドールを受賞した是枝裕和監督の傑作を見つけました。

日本アカデミー賞を総なめにした映画なので、ちょっと映画好きな人なら、誰でも知っている映画なのでしょう。

今さらの感があると思いますが、世間の流行には一番後からついて行くので、しょっちゅうこんなことが起こります。

それと、ホーム画面に書いたように、急に映画への興味が復活してきたので、封切りされた当時は、この映画のこともタイトルくらいしか知りませんでした。

 

前置きはさておき、これはすごい映画ですね。

まず、驚くのは無駄なセリフや、無駄なシーンが一つもないこと。

すべてのシーンが、深いところで繋がっていて、画面に映り込まない部分まで含めて、大きな物語を構成しています。

だから、一度も画面には登場しない、おばあちゃんやお父さんのような、すでに亡くなっている人たちが大きな存在感を発揮しています。

たとえば、おばあちゃんが残した、梅酒やちくわのカレー、匂いが残っている浴衣。

お父さんが残したしらすのトーストや、釣りの趣味、大好きだった海を見下ろす場所、そしてその最大遺産が腹違いの妹だったということ。

この映画では、住まいも大きな意味があります。

こんな古い梅の木が生えている緑豊かな家に住んで、姉妹4人で暮らしていたら、外の世界で多少いやなことがあっても、家に帰れば気持ちがリフレッシュできるような気がします。

それは、家自体に、長い時間が刻まれていて、父祖たちの気配を濃厚に感じることで、気持ちが落ち着いて、何かに守られている気がして、こころが喜ぶ。古い建物って、そういう力を持っています。

 

若いときは、自分一人で生きているような気分でしたが、歳を重ねるにつれて、先祖から受け継いだDNAによって生かされてる感覚が芽生えるようになりました。

映画に登場する若い4姉妹も、自分ひとりの力ではどうにもならないDNAによって生かされていることを、暗示する場面がたくさん出てきて、物語に奥行きを与えています。

小説家は、登場人物のキャラクターを設定すると、頭の中でキャラクターが勝手に動き出すそうです。

きっと、是枝監督の頭の中では、画面に映らない、もっとたくさんのアナザーストーリーが同時進行で、動いているんじゃないかな。そんな深みを感じるのです。

 

そして、カメラワークや音楽など、どこを切り取っても非の打ち所がありません。

 

これからもっと勉強して、是枝裕和監督が発信するメッセージを感じ取って、楽しみたい。

50年ぶりにそんな、ワクワクした気分になりました。

 

下の動画はフジTV系で放送されたメーキング番組だそうです。これを観てから映画を楽しむのもオススメです。

詳しいストーリーはWikipediaを参照して下さい。

「海街Diary」


『東京家族』

2013年松竹

監督:山田洋次

歌川広重「名所江戸百景」蓑輪金杉三河しま(パブリックドメイン)
歌川広重「名所江戸百景」蓑輪金杉三河しま

山田洋次監督の『東京家族』は、小津安二郎監督の名作『東京物語』をモチーフに、新しく作られた作品であるが、ふたつの映画を隔てている長い時間が、スクリーンに映る、東京という街の印象を全く違ったものにしている。

昭和28(1953)年に発表された小津監督の『東京物語』では、戦争の爪痕は日々の暮らしに影を落としているけれど、その一方で、戦災から立ち直って力強く復興する途上にある元気な東京の風景が描かれていた。

外国のブランドショップばかり並ぶ、今の銀座とは違う、落ち着いた銀座の町並みもいいが、随所に挿入される建築中の鉄骨や、煙をはく煙突が強い印象を残す。

門田ゆたかの作詞で、藤山一郎が歌い昭和11(1936)年にヒットした「東京ラプソディ」には、こんな一節がある。

「楽し都 恋の都 夢のよ 花の東京」

『東京物語』の時代、ぼくはまだ生まれていなかったが、空襲で焼けた東京に、「夢の」を取り戻そうと、未来に希望を持って生きることが出来た時代だったように思える。

『東京家族』はそれから60年もの、長い時間が経過した現在の東京を描いている。

60年間、日本中の誰もが、経済成長を実現すれば豊かな暮らしが実現されると信じて、がんばってきた。その結果、果たしてぼくたちは幸せになったのだろうか。

 

全員同じ体操服を着て、位置について、前のめりになり、スタートの合図のピストルが鳴るやいなや、ゴールに向かって走り出す。

運動会ではありふれた光景だけど、小学校に入って、徒競走というかけっこを経験したとき、おさな心に、強い違和感を抱いた。

運動会の練習で、スタート位置に立つたびに、ここは自分が立つべき場所ではないと思った。ゴール目指して、となりにいる友達を押しのけて、われ先に走るのが苦痛だった。

これは自分の趣味じゃない。級友同士が先を争って走る光景は、美しくないと思った。

そして幼心に生じた違和感を、還暦を過ぎた今も、ずっと引きずっている。

朝の通勤時、乗換駅で、先を急ぐ人波にもまれながら、もの思いに耽ったり、スマホで音楽を聴きながら歩く。

周囲の慌ただしいリズムによって、自分のリズムを崩されないように、注意深く、ゆっくりと歩く。

うかうかしていると、幼稚園児の頃から我先に走り出す訓練を受けてきた人たちに、突き飛ばされたりする。

もちろんぶつかっても詫びる人などいない。

 

平成25(2013)年に発表された『東京家族』には、もう「夢の」ではない、イライラするような、慌ただしいリズムに支配される、そんな東京の暮らしが、繰り返し描かれる。

ファーストシーンに登場するのは、なんと東京のゴミ置き場である。

何かの呪縛に捕らわれたような、大量生産・大量消費都市東京の暮らしに対して、主人公の平山老人が住む瀬戸内海の小島の暮らしが何とも、魅力的に見える。少し大げさかもしれないが、桃源郷の雰囲気すら漂う。

だけど東京だって、150年前は桃源郷のような魅惑的な空間だった。

殺伐とした日々のリズムに疲れたなあと感じる夜、本棚から歌川広重の画集「名所江戸百景」を取り出してきて、今から150年前、徳川時代末期の江戸東京の風景を眺める。

そこに描かれているのは、高原のリゾート地のように緑ゆたかで、空には鳥が舞い、人々がゆったりと、日々の暮らしを楽しんでいる様子である。

ふと、こんな夢をみたくなる。

広重の時代から150年かけて、こうなってしまったのだから、今から150年後、未来の東京は、「名所江戸百景」の風景が復活しているかもしれない。

脱『東京』が進んで、全国各地に人口が分散して、危険な輸入食品や、外国の低廉な労働力に頼らなくても、地域が元気になって、地域で経済が回るようになっている。

家庭や地域の人たちが担うべき仕事を、外注して、お金で買うようにすればGDPの数値は、簡単に増える。経済成長すなわちGDPの増加など、その程度のものである。

だったら、そんなつまらぬGDPや経済成長率にこだわることをやめて、江戸の助け合い社会を目指してみる。

国土を疲弊させるだけの、永遠なる経済成長などを夢想するよりも、よっぽど健全で現実的だと思うのだが、いかがかしらん。そんなところにまで、想像が膨らむ『東京家族』。

一回目はヒロイン蒼井優の登場シーンから、何故だか涙が止まらなくなって、ぐちょぐちょになったので、もう一回映画館に行って、二回目を観た。

後にも先にも、ぼくにとってこんな映画は空前絶後である。

(石井)